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寝たきりの2009年

 「今年もあっという間だったなぁ」などとつまらんことを言い合って、今年もなんにも進歩しなかったことを「あっという間」のせいにして慰め合う、そのような時期になった。わたしとて同じで、「やっとこさ、わたし的には2009年らしくなってきたな」などと思っていたのだが、人に聞いたところによると2009年も残りはあと二日しかないそうである。わたしのつもりでは、あと二百日ぐらい残っているはずなのだが・・・・・。

 本当に、あっという間であった。その証拠にわたしは2009年に入ってから、まだ「あっ」としか発言していないのだ。「あっ」のあとに、「ひっ」とか、「ふぉっ」とか発言したくもあったのだが、わたしにはあいにくそのような時間的余裕もなかった。
 時間というものが人々に公平に分配されているなどということには、まったくもって疑念を抱かざるを得ない。抗議すらしたくなってくる。小心なこのわたしがだ。しかし、どこにその抗議を持っていってよいものか、ぐずぐずと布団のなかで思い迷っているわたしなのである。

 2009年の追試みたいなものがあってくれればよいのだが。そうであれば、わたしはこれから一年かけて2009年の追試を受ける覚悟もある。しかし、非常に残念なことだが、遅れている人生を調整してくれるような、そのような親切な仕組みはわれわれの人生には用意されていないのである。

 せめて、あと二日。残りの二日間が、不毛な2009年を埋め合わせてくれるような、手に汗握るスリリングな二日間であってほしい!
 と、願いながらも、もう眠ることを考えている。
 眠たい・・・・。
 




 

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2009.12.29 | Comments(4) | Trackback(0) | 今日のMASARU

腹ぺこナイトメア

 怖ろしい夢を見た。
 ゲテモノ食いの夢である。この世に存在しない(すべきでない!)けだものを、誰だかわからぬが、食べようと言い始めた。
 それは気味の悪い生き物で、全体としては鳥類に属するのであろう。ダチョウの体に、でっかいニワトリのような頭が乗っかっている。くちばしはアヒルで、とさかはニワトリである。ニワトリのアゴにぶらさがっている赤いキンタマみたいなのも、この珍獣のアゴにはぶらさがっている。珍獣の顔一面、青白くぬらぬらと光る眼球で敷き詰められている。無数の眼球は魚卵のようにも見える。それらの眼球も珍獣の器官であり、珍獣の体の一部なのである。敷き詰められた眼球の中心に珍獣の本当の目がある。珍獣の大きな目は、不吉なだいだい色に濁っていて、もう何も見ていない。その瞳はすでに「見る」ことを終えてしまっている。死んでいるのである。あり得ざるものの胴体はまだかすかに生きていたが、その首は切断されて、埃っぽい道端に転がっている。
 夢のなかのわたしは、その忌まわしい生き物を見ているだけで、いまにも吐きそうで、吐くのを必死にこらえている。しかし、周りのみんなはいまにもその奇妙な生き物の頭を食べようとしていて、集団的行為の逃れられぬ圧力のまえにわたしの小さな心は震えおののいている。

 そのような夢であったが、運良く、その気味の悪い生き物を口にするよりまえに、現実の世界へと戻ってこれた。同じ夢を見た人があろうか? 夢の悲しむべきは、同じ夢を見てくれる人がいないことである。夢は共感を求めることができない。

 夢から目覚めて、先ほど、シソふりかけをごはんにかけて食べたが、それがどれほどおいしいごはんであったことか!
 もう二度とあの珍獣には会いたくない・・・・。

 
 

2009.12.16 | Comments(2) | Trackback(0) | 今日のMASARU

わたしの好きな言葉は、半そで半ズボン

 いままでに何度も述べていることなので、「耳にタコができそうになってしまって気が気でない」という方もいらっしゃるだろうが、厚かましくももう一度ここで述べさせていただきたい。わたしは冬が大嫌いなのである。
 冬が到来すると、冬がもたらす寒さの現実から逃れようと、わたしの心は南国を夢想し始める。心のなかはソテツだらけになって、心の指はバナナをむき始める。心の尻は、青々と茂った雑草の上だ。心の目はビキニを捉えている。

 しかしどのような空想に耽ったところで、しょせん空想は空想に過ぎない。空想は弱い。ついに打ち勝つのは現実のほうであり、現実のまえに空想は、ババアの乳房のようにしぼみきってしまう。見ていられない。

 宮崎に行ったのである。現実はすばらしい! 心の外にソテツが、並んで生えている。心の指は萎え細り、現実の力強い指でバナナをむきたくなってくる。寝転ぶのにうってつけな雑草。ビキニは残念ながら見えないが・・・・。

 知り合いの茶園では、茶の成長を妨げるカズラを抜いて回った。茶の成長を助けた。
 知り合いのギャラリーでは、木彫りをし、豚汁を食い、仲間たちと心ゆくまでのんびりした。
 コテージでは、ふらふらになるまで、仲間たちとともにビールを飲んだ。
 ナントカ神社で、運玉という飴玉ぐらいの大きさの素焼きの玉を投げた。奇岩の上に置いてある縄の円のなかに入れば願いが叶うというのである。縄の円のなかに、わたしの投げた運玉はきれいに収まった。だいたいの願いは叶ってしまっている気がなぜだかそのときはしたので、何も願わなかった。今になって後悔している。それからこの神社では、「お乳飴」という飴玉を食べた。否、食べたというよりは、しゃぶったというほうが当たっている。男のお乳に対する情熱は、お乳を吸っていた赤ん坊の頃からずっと変わらないものなのである。
 城も観た。土曜日だというのに閑散としていてお客さんは少ない。閑古鳥が鳴いている。今にも落城しそうである。病んだ人やつぶれそうな店や迷子などを心配したことはあるが、城を心配したのは初めてのことである。
 それから吊り橋も渡った。わたしは三十六歳なので、高いところがあまり怖くない。昔は高いところが苦手だったのだが。三十六歳未満の人たちに言いたい。三十六歳という年齢は、案外すごい。

 なぜなのか自分ではよくわからないのだけど、昔からわたしは、しょっちゅう人に写真を撮られる。今回の旅でも、みんなに写真を撮られまくったのである。カメラのまえで生き生きしたポーズをとる度に魂を抜き取られたが、宮崎への旅はそれに代わる新しい力をわたしにくれた。南はいい。
 


 
 

 

 

 


 

2009.12.04 | Comments(0) | Trackback(0) | 今日のMASARU

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川部賢

Author:川部賢
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