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公子がわたしの耳にささやく、刹那的な愛を

 「Sea Weed Fes.08」にて、サンドアートを担当したのである。
 おお、海! 夏! そして、サンドアート! それから、主役である夏にたいして、蛇足のようでしかない、わたし及び彼(シャチョー)!
 わたしの心は、夏の暑さよりももっと熱く、燃え盛っていた。海水も暖かく、海水浴を楽しむ人々の姿も見受けられた。入水するにはよい季節だ! 太宰治が生きておれば、ぜひともこの場所に彼を誘い出したかった。この暖かい海水の中であれば、ウカれながら、満面に笑みをたたえながら、諸手でダブルピースを応援席に送りながら、彼も幸せに死ねたであろうに。腹上死に優るとも劣らない、心残りのない、満足な死を迎えたであろうに。自殺という観念にサンシャインの輝きを添えることができたであろうに。
 
 それはともかくとして、こんな感じの物体ができあがった。
 野宿で泊り込んでの労作である。
01.jpg
 マーメードである。
 その前に寝そべっているわたしは、気持ちと仕草だけはマーメードである。気持ちと仕草以外はすべて、ただのオッサンである。だがしかし、気持ちと仕草は、すばらしくマーメードである。気持ちは非常にマーメード、仕草もたいへんマーメード。なのにいったい、わたしに何が足りなくて、わたしはマーメードでないのか! ちくしょう! マーメードたる要素が、わたしにはあまりにも欠けている!
 
 砂浜の砂ではあまりにもろく、そのために、当初発案になるものにくらべ、ずいぶんと太くたくましいマーメードになってしまった。細身の美しいお姫様のような、可憐なマーメードを想像していたのだが・・・。砂浜に咲く一輪の花。それがわたしの持つイメージであった。それが、砂浜に打ち捨てられている錆びた鉄アレーのような感じになってしまった。これではまるで、人間と魚が合体しただけでなく、さらにゴリラまでもがその合体に加わったかのようである。そのことが、わたしの心には、非常に悲しく思えるのだ。
 
 彼女のプロフィールも、細身の美しいお姫様といったものでなく、大幅に改変することとなった。

 名前: 公子(きみこ)
 職業: 砲丸投げの選手
 趣味: 筋肉
 好きな食べ物: でかい動物(象とか鯨とか)
 体重: ひ・み・つ(かわいくない感じで)
 バスト: 3m(こういうところは自慢したりする)
 ウエスト: ひ・み・つ(またもや伏せる)
 ケツ: プリンプリン(数字ではけっして表現しない、あいまいな表現で)
 お気に入りスポット: 土俵の中、粗大ゴミ置き場
 一言: 学校の裏サイトでは、「ホルスタイン」と呼ばれてま~す!

 両の乳房に消防車のホースを仕込んで、大量の牛乳を豪快に放出させたかったのだが、予算が足りないのと、わたしの頭髪が足りないのとで、あえなく取り止めとなった。残念。
 
 それにしても、彼女のそばにいると、無性に刺身が食べたくなってくる。しかし、わたしは我慢した。なぜなら、わたしは全然我慢の限界には達していなかったし、彼女の下半身だけ食べてしまって、彼女が上半身だけになるのもどうかと思って・・・・。「上半身も魚になりたまえ、君!」などと、厳しい口調で彼女に突っかかるのもどうかと思って・・・・。わたしはもういい歳した大人なので我慢したのである。
 
 彼女はわたしといっしょに写真に写ってもくれた。久しぶりの女性とのツーショットである。
 ニヒルな顔つきで写るつもりだったのが、でれでれしたニヤけた顔になってしまった。
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

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2008.08.30 | Comments(0) | Trackback(0) | 未分類

「わたし」が盗まれた日

 姪っ子が、わたしの似顔絵を描いてくれた。
 その似顔絵は、見れば見るほどに、わたし自身よりもずっとわたしらしく見える。偽者のほうが、わたし自身よりもずっとわたしらしいとは、どういうことか! 偽者にわたし自身が取って代わられるということだ! こうなっては、わたし自身はもはやこの世に不要である。
 死のう・・・・。
 いや、死ぬまい。死にたくない・・・・。死んでしまっては、大好きなブラックサンダー(駄菓子)を二度と食べられなくなってしまう! そういえば、気になるAVも、レンタルビデオ屋の棚に何本か残したままだ。生死については、せめてそれらを全部見終わってから考えるとしよう・・・。
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 体のないハゲがわたしである。顔だけが、不気味に宙に浮いている。
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 オッパイとペニスが描きこまれている。両性具有なのである。ペニスの先からは、何か得体の知れないお汁が垂れ流れている。小便なのか、精液なのか、血なのか、六甲のおいしい水なのか、解釈の分かれるところだ。
 わたしは、小便と精液の間を取って、「精便(せいべん・たった今勝手につくった造語)」だと、解釈している。
 みずからのオッパイに欲情し、精便を放出している、はしたない姿!!

 わたしの負けだ。やっぱり、わたしは、「わたし自身」をこいつにゆずろう・・・・。むしろわたしのほうが偽者のようになって、人目を避けるようにして、細々と暮らしてゆこう。
 しかし、こうなっては、わたしはもはや死んだも同然なのであるから、これ以上死ぬ必要がどこにあろうか!

 わたしはフォルティッシモで叫びたい!
 力強く叫びたい!
 自室の壁に向かって、
 「それでも、わたしは生きる!」と。



2008.08.21 | Comments(4) | Trackback(0) | 今日のMASARU

何度目かの同棲

 夏の間は、虫と暮らしてゆくのを、覚悟しなくてはならない。
 わたしの住まいは古い木造の家屋で、きっと虫たちにとっては楽園なのであろう、ゴキブリはもちろんのこと、多種多様の虫が雑居している。
 先日も、ムカデが床を這いずり回っている姿を目にした。恐れおののいたわたしは、皮の鎧を装備したくなったが、あいにくわたしの生きている世界はドラクエの世界ではない。なんの変哲もない、普通の世界なのである。退屈でつまらない現実、あくびの日々・・・・。せめて全身タイツで身を包みたいと思ったが、わたしにとっては、「全身タイツ」でさえ、高級衣料品なのである。そんな贅沢なものは持っていない。
 ちょうどそのときシャチョーが帰ってきてくれたからよかったものの、そうでなければ、わたしの人生はムカデのせいでゲームオーバーになっていたにちがいない。シャチョーが、粉微塵にムカデを叩き殺してくれたのだ。ムカデを叩き殺しているときのシャチョーの全身からは、サイコパスの抑えきれぬ暗い衝動がほとばしっていた。常軌を逸した殺意! 人間存在の底知れぬ暗い闇! その闇は、ミルキーの味。ママの味・・・・。おお、ママ! ママの愛撫!
 殺されたムカデは、あたりに幾本もの足をまき散らしていた。ふりかけにすると、おいしそうに見えるにちがいない。そう見えるだけで、実際にはおいしくないにちがいない。残念でしょうがない。

 明るい話に転じようかね。
 わたしの部屋には、ずっと以前から、ぴょんぴょん跳ねる小さな蜘蛛が住んでいる。その蜘蛛の体つきはわたしとずいぶん違うが、精神的な部分ではわたしと同じものを持っていると確信している。こんな何にもない部屋に、こんなにも長い間、文句一つ言わずに暮らしているのだ! 実に気持ちよさげに暮らしている!
 同居していてわずらわされることなく、逆にわたしの孤独を癒してくれるよい友達なのである。だいぶ前に、わたしは友の印としてその蜘蛛に名前を贈った。「川部」と・・・・。
 人間の川部がしょげているときも、蜘蛛の川部は元気に活動している。その元気な姿を観ていると、なにもかもすっかり忘れて、心が和む。元気をもらえる。
 蜘蛛の川部、ありがとう。
 おまえがいてくれてよかったよ、おまえと双子になりたいよ。
 (明るい話なのか?)。

 


 

2008.08.19 | Comments(0) | Trackback(0) | 今日のMASARU

ウコンはわたしのメシア

 夏になると、いろいろと誘われごとも多くなる。
 一昨日も、翌日朝からバイトだというのに、昼はバーベキュー、夜は飲み会と、ふたつ掛け持ちで、オッサンにはちょいとしんどい一日だったのである。
 ウコンを飲んで、兜の緒を締め、いざ出陣! ほら貝の音がどこからともなく聞こえてくるような、そんな昼下がりであった。甲冑に身を包み、馬で馳せ参じる、そんな雄々しい気分であったのだ! 実際には、サドルに乗せた尻に汗をかきながら、暑苦しい表情で貰い物のチャリをこぎ、現場へ向かったのであるが・・・・・。

 昼の部で酔いつぶれるわけにはいかぬと、酒量をセーブするつもりであったが、呑み始めてしまえば自制心というものは脆いもので、けっきょく普段と同じペースになってしまった。
 しかし、わたしはウコンを飲んで馳せ参じた稀代の英雄!
 嘘。
 ほんとは、もうだいぶできあがって、子守歌しか聴きたくねえよ! って感じになってしまっていた。
 夜の部、きついなぁ~。もうすでに少し具合悪いし。しかし、わたしは、約束を違えることなどは、けっしてしない。なぜなら、ウコンでテンションはウナギのぼり。恐れるものはなにもない。
 でも、やはり最後のほうは、しんどかったな・・・・。

 翌日は意外にさっぱりとした顔だった。ウコンのおかげなのか、きちんと顔を洗ったためなのか。その顔には、いつものような、ぬめりと、頑固な汚れはない。疲れも見えない。
 嘘。わたしは日頃自分の顔を見ることなど、ほとんどないのであるから。風呂場にしか鏡がないのだ。
 しかし、気分は実に爽快なのであった。
 やはり、ウコンのおかげなのかねぇ。
 

2008.08.12 | Comments(0) | Trackback(0) | 今日のMASARU

豪雨で体の汚れをねこそぎ落とす

 能古島は快晴だった。
 視察という名目で、能古島へ仲間たちと訪れたのであるが、半分遊びのような、半分夢のような、半分老後のような、半分川部のような、のんびりと心洗われる時を過ごした。
 多少我慢していたものがあるとすれば、まあ、脱糞であろうか。わたしは人と行動を共にしているときは、みんなに時間を取らせるのも申し訳ないので、意外とギリまで我慢するほうなのである。
 こんなとき、「うんち、だいじょうぶ?」と、わたしの糞の溜まり具合を察してくれるような、心優しき女性が彗星のごとく現れてくれれば、わたしは泣き叫びたくなる。この大宇宙の中心で愛を叫びたくなる。「わたしは大いなる愛でもって、あなたを愛す!」と。
 
 能古島は快晴だったのである。それは見間違いとかではない。自分の都合のよいように歪曲してしまった妄想でもない。正真正銘、本当に快晴だったのである。
 が、しかし、・・・・・・
 島を出、こちらの岸に上陸し、六本松へ帰る道々、どしゃぶりの雨に見舞われたのである。
 雨脚が強まってきたので、どこか雨宿りできるところはないかと探したが、ちょうど具合悪く格好の場所が見つからない。「軒下!!」と念じながら、必死の形相でチャリをこぐ。うんちの存在が若干大きくなりつつもある。
 途中、マンションの駐車場へ避難したものの、強い風を伴う豪雨は駐車場の奥の方にまで降りこんでくる。じわじわとしだいに体も濡れそぼってくる。どっちにしても、濡れるのには変わりがないので、意を決して外へ出る。
 強い雨と、ますますその存在を増してくるうんちに、精神をもみくちゃにされながら、ペダルをこぐ足も高速回転になってゆく! おお、豪雨とうんちにもみくちゃにされてしまう! 自己アッピールしすぎ、このうんち! そんなに自己アッピールしすぎたら、かえってみんなに嫌われちゃうぞ!
 帰り着いたときには、濡れ鼠。ずぶぬれの服を脱いで、トイレへ向かう。トイレの戸口が、凱旋門に見える。意気揚々とその戸口をくぐる。濡れて寒さに震える体、鬼気迫る便意に打ち震える体が、憂いをたたえ、しゃがみこむ。

 ポケットにつっこんでいた千円札二枚が、ぐしょぐしょになっていた。野口英世が溺死したみたいになっていた。
 「英世さん、あなた、黄熱病で死んだんじゃなかったけ?」

2008.08.09 | Comments(0) | Trackback(0) | 今日のMASARU

わたしはいかにしてそうめんを愛したか

 つくづく思う。やはり、わたしはそうめんが好きなのだと。これまでも、わたしがいかにそうめんを愛してきたかを、散々書き散らしてきたものだが、わたしの気持ちとしてはそれでもまだまだ足りない!

 愛というのは妙な感情で、「愛する人にだったら首を絞められてもよい」というような狂気を孕むことさえある。
 わたしも、そうめんにだったら首を絞められてもよいと思っている。首を絞めてくる相手がそうめんであるのなら、それはわたしにとっては本望である。
 しかし残念なことに、そうめんのコシよりも、わたしの首のほうが、わずかながらだが強い! かえって、愛する対象を、死に至らしめる結果となるのだ!

 ああ、わたしは人間の女には見限られた・・・・(離婚された)。
 そうめんには、男女の別はあるのだろうか?
 そうめんの女性とだったら、わたしでもうまくやってゆけるかもしれない。



2008.08.07 | Comments(2) | Trackback(0) | 今日のMASARU

ずるずるといつまでも眠る

 わざわざ書名を挙げるまでもないが、退屈な本を手に取ったせいで、暴風雨のように睡魔が襲う。読んでは寝、覚めては読みを繰り返すこと、実に五度! 昨日はそのせいで、一日中頭がぼんやりして、覇気の振るわない日であった。
 「川部を見てると眠くなる」とわたし自身も、同じようなことを人に言われたことがある。なので、その本のことで、もうこれ以上文句は言うまい。同類についてあれこれケチをつけるなんて、わたしはなんと心の狭い男であろうか! 心の狭さと、デコの広さが、こうまでも見事な反比例を示すとは、どういう運命の悪戯か!

 不眠に悩む夜には、退屈な本を読みながら、ときおり鏡に映った自分の顔を覗き込んだりして、睡魔を呼び覚ましてみようかと思った、今日このごろ。

 

2008.08.07 | Comments(0) | Trackback(0) | 今日のMASARU

THE EARTH

 昔は、地球は丸いとか言おうものなら、くらされたものだった(ガリレオは、やっぱり丸くありません、と謝ったので、くらされなくてすんだ)。
 現在は、地球は四角だとか適当なことを言ってみたところで、くらされることはない。
 わたしなどは、どちらかと言えばくらされたいと思っている人なので、もっとひどいことを言いたくもなる。目を細めて見ると地球は巻きグソに見えるとか、言いたくもなる。しかし、それでもやはり、くらされることはない・・・・。
 
 ああ、意味をなさないことが、ぐるぐると頭を巡る。
 眠い。
 眠ろう・・・・。
 

2008.08.06 | Comments(0) | Trackback(1) | 今日のMASARU

自分を軽々と乗りこなしてみたい

 ミステリーを読み始めたものの、半分ほどまで読み進めてみて思うに、どうも今自分が読みたいものはミステリーではないらしい。心に火花が走らない。心はあくびを噛みしめている。なんだか、退屈な心持である。みずから己に宿題を課すような結果となってしまった。おお、宿題! 子供の頃、わたしが最も嫌いだったもの!
 では、わたしは今何を読みたいのであるか? それが、わからない。何かを読みたがっているのは確かではあるが、ともかくもそれは、ミステリーではないらしい。

 自分が今何を欲しているのか、その勘を養うこと。その勘を育ててゆくのは、人生をより豊かにする秘訣だと、わたしはかねてより信じている。
 タバコ一本吸うのにも、他のどんなときよりも、より一層うまく感じる瞬間というものがあるものなのだ。その瞬間を鋭くさらう心眼を持てるようになること。

 今日のおれは、自分を乗りこなせていねえぇーーーー!!

2008.08.05 | Comments(0) | Trackback(0) | 今日のMASARU

すべすべ自慢

 四六時中ボサーっとしていることの多いわたし。「気持ち」というものも、動かしていないと、動かしていない関節の部分に、しだいに垢が堆積してくるものである。
 昨日、あるプロジェクトの視察のため、大分へと車を走らせた(実際に車を走らせてくれたのはモックンで、わたしは隣に座ってホーミーを奏でていただけなのだが)。

 大自然!!
 こうも自然と懇ろになるのは、いつ以来のことであろうか!
 幼いころ、「大草原の小さな家」というテレビドラマが放映されていたが、その雰囲気を彷彿させる風景である。わたしは、遠くに見える山々の峰を睨みすえ、心に誓った。「それではわたしは、大草原の小さな男になってみせようではないか!」と・・・・。

 夢が膨らむ。
 わたしはこれまで、夢がなえ細ってゆくばかりの生活に甘んじ生きてきたが、こんなわたしの人生にも一条の光が差し込んできたのである。だが、その内容はまだ、公開するべきときではない。

 帰りにみんなで露天風呂につかった。
 わたしたちの後から、家族連れが入ってきた。その中には奥様も混じっている。混浴なのである。
 奥様はまだ若い人であったが、そんなに肌を隠すふうでもない。わたしは、そのような自然な感じは、すごくよいものだと思う。わたしたちは所詮、裸でこの世に生まれ出てきたのだ。ブランド物の服に身を包んで生まれてきた者など、少なくともわたしの知り合いにはいない!

 湯から上がると、何もかもすべすべになっていた。肌も、心も、デコも・・・。
 「こんなにいい風呂に入ったのだから、しばらくは風呂に入らなくてもいいな」。そう考えたのは、無精ゆえの錯誤であろう。

 「気持ち」の関節に堆積していた垢も、すっかり洗われた。
 この世に生まれたときの気分は、こんなふうじゃなかったろうか。


 

 

2008.08.05 | Comments(0) | Trackback(0) | 今日のMASARU

花火がわたしのデコを照らす

 お友達のお家に呼ばれ、花火を観た。古いタイプのマンションで、洗濯物を干すための共同のスペースが設けられている。そこへブルーシートを広げ、宴会が始まった。

 花火はきれいだった。
 夜空に、幾度も幾度も、一回性の美を描いて、それは消えてゆく。
 その美しさは、人々の心の中へ、夏の思い出の中へと消えてゆくのか・・・・(くせえ!)。
 花火は美しかった。
 わたしのお顔もあんなに美しかったら、夏にもっとふさわしくなれただろうに! せめてものこと、夏の緑地のような髪の毛だったら! そうだったら、わたしの姿は花火を背景にして、ひときわ凛々しく見えたはずである・・・・。
 
 今年の夏も、例年と変わらず、引っ込み思案であったわたし・・・・。やっとのことで、夏の風物詩を身近に感じることができたのである。わたしのような冴えない男のもとにも、夏はやってくるものなのだ!

 花火を観ながら、酒をあおりながら、子供たちとたくさん遊んだ。
 わたしにとって、子供は、「大人になって失われたもの」を飲ませてもらうための水飲み場のようなものである。
 子供はいろいろなことを覚えてゆく。大人はいろいろなことを忘れてゆく。子供は大人に思い出させてくれる。大人は子供に教えてあげることができる。なので、子供と大人がいっしょにいるということは、どっちにとってもよいことだと思う。

 花火に喩えると、線香花火のようなわたしの人生(細く長い感じ)は、どうなってゆくのか?
 湿気た火薬のままなのか?
 寂しい夜空に、なにかをまき散らすか?
 
 
 
 

 

2008.08.02 | Comments(2) | Trackback(0) | 今日のMASARU

ある歌うたい

 阿寒湖時代の旧友である「亀井昭典」のブログをリンクに追加しました。

 彼とは阿寒湖以降はあまり会うこともないけれど、何年か越しに会ってみても、「よお!」とか「あー」とか「うぅ」とか「ち○ぽ」とか、フランクな挨拶で再会する、そんな感じのお友達なのである。
 時間の隔たりが、そこにはない。陽に晒されてセピア色に退色してしまった雰囲気ではなくて、総天然色な雰囲気なので、長い月日を置いた後の再会でも、すぐと彼とわかる。
 彼は飽きもせず、ずっとギターを奏でている。これから先もずっと、そうなのだろう。すげえ好きなんだろうな。
 
 歌うたいは歌い続ける。
 夜風にかき消えた歌が君の心に眠る。
 覚ますな!

 亀井昭典ブログ
 http://umigalass.blog121.fc2.com/

2008.08.01 | Comments(2) | Trackback(0) | 今日のMASARU

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プロフィール

川部賢

Author:川部賢
そこそこの生き物です

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