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マリーム小さじ一杯分ぐらいの、ちょっとした宣伝

 しばらく、更新できませんで、すみません、みなさま。
 背中の痒いところに手が届かないように、こちらのブログのほうにもしばらく手が届かないのでありました。テナガザルのような長ひょろい腕がほしい! 人類のなかにおいては、わたしはわりと腕が長く、クレオパトラの鼻の高さが自慢に値するものであったように、わたしの腕の長さも、これまで、わたしにとって自慢の種でした。しかし、テナガザルのやつを、仔細に観察し(別に仔細に観察しなくとも)、その腕の長さに驚かされてしまっては、わたしの面目もまるつぶれというものです。
 しかも、「もし、カワベマサルの腕がもっと短ければ、歴史は変わっていたであろう」などということは、まったくもって、ない。わたしは、歴史の隅っこのほうで、台所付近をうろうろと漁り回り、ぬぼーっと暮らしている、ただの男なのであります(男ですらない、などと、どうか言わないでほしい!)。

 あちらの宣伝をまだこちらのほうでしていませんでしたので、ちょっとあちらの宣伝をさせていただきます。
 あちらというのは、アートバーズのマガジンのことです。
 この世、あの世と、あるように、わたしのネット世界にも、こちら、あちらがあるわけです。
 この世、あの世があるように。
 コマ(独楽)とアマ(尼)があるように。
 こんこん(咳の音)とあんあん(悶える声)があるように。
 こじつけ(わたしは、こじつけるのが得意だ!)と味付け(わたしがもっとも苦手なことだ!)があるように。
 こそ泥(わたしの見え方。しょっちゅう不審がられてしまう)とあそ泥(なんだ?あそ泥って?)があるように。
 そのように、わたしのネットの世界にも、こちらとあちらがあるわけです。
 で、まあ、あちらっちゅうのはですね、アートバーズのマガジンのことです。あちらのほうにも、わたしの文章を寄稿していますので、興味のある方は、ぜひご覧ください。このページのリンクから、ひとっとびできますので、「プチっ」っとクリックしてみてくださいね!

  

 
 

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2007.09.23 | Comments(4) | Trackback(1) | 今日のMASARU

コオロギ天使

 最近、毎日路上販売に出るようにはしているが、夏休みが終わったせいなのか、人通りがやたらめったら少ないのである。

 「売る」という行為は人に対してしかなされない行為であるので、わたしが品物を広げている前を、もっともっとたくさんの人が行き交ってくれなければ、わたしとしてはたいへんに困る。
 「売る」という行為が人以外のものにもなされるものであるならば、わたしはこんなに困らなくても済むのになぁなどと、眉間に一本、シワを深く刻みながら思うのである(三越のショーウィンドーのマネキンが、いつもわたしの方をじっと見つめている。あのマネキンが、わたしの木彫りを欲しがりはしまいか? あの意味ありげな視線は、ただ単に、わたしと結婚を前提としたお付き合いをしたいだけなのか?)。
 
 でもやっぱり、犬がわたしに近寄ってきたとしても、こっちは商売の意欲なんて湧いてこないし、昨日なんかはコオロギがわたしの背中に乗っかってきたのだが、「いらっしゃいませの精神」の真逆の精神をフルに発揮し、思いっきりコオロギを両手で払いのけてしまった。
 しかもコオロギは、しばらくして、わたしの前方3メートルぐらいの場所で、通行人に踏み殺されてしまった。死んでしまってからも、憐れなことに、何度も踏まれていた(しかも、自分がコオロギを踏んだことに、誰もが気付かないのだ。誰も彼もが携帯で大忙しだ!)。
 一寸の虫にも五分の魂。わたしのよりも大きな魂が、路上で昇天したのだった。
 

 まあ、そんなこんなで、最近売り上げも芳しくないので、明日は久しぶりにお昼から出てみようと思った次第。
 

 





 
 
 
 

2007.09.12 | Comments(4) | Trackback(0) | 今日のMASARU

なまった体にいばらの鞭

 ここ数年、運動らしい運動もせずに過ごしてきた。怠惰な生活、不健全な生活が、体全身に祟り、手足は萎え細り、一方腹はドッジボールを飲み込んだかのように出っぱってしまった(最近またへっこんだけど)。
「おめでたですか?」と訊かれれば、
「い、いや、ドッジボールです・・・・・・」

 女々しい手足のシェイプ。それを包み込むのは、毛深く、黒ずんだ、ワイルドなスキン。
 食べ物にたとえるなら、荒々しい手延べの皮で包んだ、具の少ない、しかしニンニク臭はきつい、こげた餃子、といったところか。うん、めっちゃ、まずそう。

 で、そのような萎え細りのなまった体で、林田君の引越しのお手伝いに。
 新しい住居のほうへ、注文した家具がわんさか届くので、それらを組み立ててほしいというのだ。最近の家具は、低価格で提供でき、運送の際もかさばらない、という考えからであろう、組み立て式のものが多い。
 結局、一日半がかりで、13の家具を作った(泊り込みで)。
 滅法、疲れた。
 手足の節々は痛み、なまった体は泣き言をこぼす。
 焼肉をごちそうになった。泣き言をこぼす体に、焼肉の栄養が染み渡った。うまかった。
 
 

 
 
 
 
 

 

 
 

2007.09.07 | Comments(0) | Trackback(0) | 今日のMASARU

頭も顔も冴えないやつの目が異様に冴える

 眠る気満々。やる気はゼロ。気分はすっかり眠る態勢に入っておるのだが、スイッチがオフになってくれない。コンセントを抜こうにも、なんかボンドでくっつけてあるし、わたしの体は電源が入ったまま。病的に目が冴えてくる。
 で、夜長の道連れにと、パソコンを起動。「ねえ、おまえ。ねえ、おまえ」と眠っている妻の体を揺すっている心境。
 
 貧しい心が、いちいちものを考えだす。虫食いのひどい葉っぱのような心。虫食いから射す木漏れ日がまぶしいせいで、眠りを妨げられているのか? まとまりのない様々な考えが、わたしの眠らない頭を練り歩く。
 「考え」が自分の血管よりも幅の広いものであってはならない。「考え」は全身を巡るものでなければならない。とすれば、電線に止まっている鳥ぐらいの心境がよいとも思う。あまり、考えないことだ。
 
 生まれてきたからには、狩人でなければいかんが、わたしは金で手に入るものも金で手に入らないものも、手に入れる才覚に欠けているようだ。生まれてこのかた、いろんな山に分け入ってみたものの、何も手に入らん。金を持っていないのなら、金では手に入らないものぐらいは手に入れたいものだと思うが、しかし、それも手に入らん。
 わたしは煩悩そのものについては、醜いものとは思っていない。しかし、満たされない煩悩となると話は別で、これはもう、「みっともない足掻き」のようなものまでが付け加わってくるので、きっと醜いものであるに違いないと思うのだ。
 それで、満たされないのであれば、煩悩なんて滅却したほうがよい。などと思うのだが、煩悩は、恥のように、わたしの中心にこびり付いて離れぬものなのだ。しかし、恥というものが煩悩から生まれ出てくることが多いことを考えれば、これらは同じひとつのものの裏と表かもしれんなあ。

 などと、考え、考え、眠れない夜なのでありました。
 
 

2007.09.02 | Comments(8) | Trackback(0) | 今日のMASARU

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川部賢

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